コミュニケーションのための英文法


-English Grammar-
〜英語学習に於いて、本当に英文法は必要ないのか?〜

 ひたすらに英語を「楽しく」教える ということを目指し、Kidz Talkを立ち上げたのが1997年。当時は今程「児童 英語」という言葉自体認知されていませんでしたし、児童英語講師という職業も 仕事として認められていなかったように思います。それでも、Kidz Talkの目的はただひとつ。「使える英語を楽しく学ぼう。」ということ 。どうにかしてコミュニケーションの為の英語をこどもたちに教えられないもの かと試行錯誤を始めたわけです。
 楽しく学ぶためにはゲーム。その流れは今程メジャーな分野ではない 児童英語教育界にも、当時からありました。ゲームを通じての英語学習は、こど もたちの緊張をほぐしますし、理屈ではなく体で英語を覚えることを可能にしま す。事実、この方法は非常に効果的でKidz Talkは、現在も数多くのゲームを通じて授業を行っています。

 しかしながら、 5年目を迎えたころでしょうか、そ れまで「楽しい英語」一辺倒だった指導方法に私自身、疑問を持ち始めました。Kidz Talk開校当時から在籍している生徒を客観的に見た時に、確かに我々講 師が言う英語をかなりの割合で理解することはこの5年でできるようになってい る。けれども、本人達が英語を進んで発話する姿はなかなか見られない。これが 、児童英語指導の限界なのだろうか?これが順調に見えたKidzTalkでの英語指導 の最初の壁でした。 
  そこで出会ったのがハンガリー人講師のBibi。彼女はKidz Talkのく り返し練習に重点を置いた指導法の限界をすぐに見抜きました。彼女がKidz Talkの英語に求めたのは、生徒たちの「自己表現力」でした。「英語を 使える」とは「英語という言語を通じて自分を表現し、また他者を理解すること ができること」だということを教室長の私が、忘れてしまっていたのです。

 自己表現ができるようになるには、英語を学ぶのと 同時に1)自分で考えること、2)0から創造すること、3)自分の意見をしっ かり持つことを身につけることが非常に重要です。 英語は英語だけをやっていても英語を使えるようにはなりません。日々 の様々な経験から得る知識が、結果的に「英語力=コミュニケーション能力」に つながるものと考えます。
  また、日本ではその歴史的・文化的背景から「自らの意見や立場を相 手に伝えるため」の英語教育ではなく「分析すること」に英語教育の重点が置か れて来ました。その反動で、児童英語教育の中でも「児童に文法を教えることは タブーである」という風潮が一部あり、また「楽しい」ことにばかり目が向いて しまっていました。しかしいつまでも受け身(INPUT)ばかりの指導では、英語を 自ら発することなどできません。

 英語の学習歴が長くなり、年齢も高くなるとそれま でに蓄積して来た英語の言語事実を、きちんと整理する必要が有ります。既に知 っている英語であれば、ルールを学ぶ事で定着を促進させます。大切なのは、ル ールを先に押し付けるのではなく、後づけ的に説明する事です。なぜ、heやsheの 時にはDoesになるのか。音声として充分なinputがされている彼らにとって、それ はごく当たり前のことですが、これに加えて理論的にその理由を説明すると必ず 「オ〜!」というよろこびにも聞こえる声をあげます。

 教室長が、留学している時に本当にやっていて良か ったと思った事は、文法の知識を体得していたことでした。大学の授業中、生徒 同士のディスカッションや、あらゆる分野で要求されるレポートなど、語彙の面 ではもちろんアメリカ人学生と同じとは行きませんが、それよりもきちんとした 文法で表現さえすれば、思いは「伝わる」のです。

母語である日本語でさえ、 説得力のある、きちんとした考えを表現するためには学校での教育や訓練が必要 です。ましてや、外国語としての英語を「使って、自己表現する」ためには、そ の言葉としてのルールをきちんと把握する必要があります。

  「英文法」は決して悪ではないのです。むしろ、ルールを一度自分の ものにしてしまえば英語での自己表現の可能性をより広げます。コミュニケーシ ョンの為の英語だからこそ、そのルールを知る必要があるのです。